連載 No.59 2017年08月20日掲載

 

GOOD CHEMISTRY


過日、アメリカ人の写真家と話しているとき、育った環境や両親の話題になった。

私の母は自宅でピアノを、父は高校で化学を教えていたということを伝えると、

「GOOD CHEMISTRY(ケミストリー)」という言葉が返ってきた。



音楽と化学なら感覚を化学的な方法で作品にする写真家には最適な組み合わせだと、彼はそんな言葉を使ったのだった。

そのときは化学(CHEMISTRY)が専門だった父親にかけたのかと思ったが、意味がわからず質問すると

「CHEMISTRY」という単語は、

人間同士の愛称などで化学反応のように想像以上の結果を生み出すときにも使われるのだと言う。

人間関係の善しあしを化学反応に例えるのは面白い発想だ。

優れた効果を発揮した場合は「GOOD CHEMISTRY」ということになる。



アメリカの写真家には、音楽に芸術のルーツを持つ人がいる。

ヨセミテ国立公園の写真で有名なアンセル・アダムスはピアニストを志、

森の少女の写真で知られるウィン・バロックは声楽家だった。

彼らのケースを考えると、音楽と化学の融合は写真家が育つのに最適だというのは単なる妄想ではないかもしれないが、

実施に私が育った環境はかなり違う。



ピアノを教えていた私の母は、ピアニスト(演奏家)ではないので音楽を楽しむという感覚とは懸け離れていた

子どものピアノ教室では一日中練習曲が聞こえてくるのだが、

中には調子外れのものもあるから、あまり居心地の良い環境ではない。

むしろ拒絶反応を感じるようになり、音楽やピアノの音色を美しく感じるようになったのは、実家から解放されてからである。



その上、父の専門である化学が苦手だった。

中学の理科までは理解できたが、数学的操作を必要とする高校の化学になると感覚的に受け付けない。

受験コースも理系から文系に途中で変更することになる。

写真の知識として薬品の調合には絶対的に必要な分野であるから少なからず勉強はしたが、

父の専門であるのに苦手ということが微妙なプレッシャーとなっていた。

音楽と化学は私にとってはあまり良い組み合わせではなかったようだ。



今回の作品は廃校の体育館で見つけた古いピアノ。

窓から差し込む光線で表情が変化して、何度撮影しても飽きることのない魅力的な被写体だった。

子どもの頃、学校のピアノはいつも鍵が掛かっていたように思ったが、

ほこりの積もった蓋を何げなく持ち上げると、きれいな鍵盤が現れた。



恐る恐る鍵盤に触れてバッハの平均律を弾いてみた。

もちろんちゃんと弾けるわけではなくて出だしをなぞるだけだったが、

足が壊れ音階も狂ってしまったピアノは、それでも体育館の中で美しく響いた。



育った環境の違いや相性の問題ではなく、引き寄せられる感覚が必要だと思う。

それを才能というのかもしれないが。